★ 追憶

◆ 自分自身が経験し体感してきたことでも,「記憶」自体が極めて部分的で曖昧な状態でしかなく,思い込みや思い違えも当然に混在している状況の中で,強く印象に残っていることがあったり,以前のことが現在の自分とも繋がっているような不思議な感慨を覚えたりするようなこともあります。

◆ 私は,幼少期から中学生くらいまでのことは,あまり覚えていなくて,特に小学校卒業くらいまでの断片的な記憶は「事実」だったのかどうかも曖昧な状況で,「覚えていることはほとんどない」くらいの状態だと思っています。記憶に残っているものには,それなりの必然性があるのかどうかも判然とせず,全体が茫洋感に包まれた状態です。

◆ 教員に就職して以降のことも,ここ10年・20年くらいのことは比較的覚えている感じはしていますが,それとても自信があるかと問われると苦しい気持ちにならざるを得ない状況です。

◆ こうしたことを踏まえながらも,《追憶》の範囲のことも,文字化していると,もしかすると「今の自分」とのつながりが浮かび上がってくるかも知れないとも思っています。 

◆ ここの記事は,まさに「私的で個人的なこと」に属する範囲のことになりますので,もしお読みいただけることがありましたら,その前提でのご理解をよろしくお願いいたします。

 

 

◎ 自分としての個人的な「原風景」感覚について,文字化してみました。

 

 

◎ 自分の個人的な小さなころの勉学体験について,現在視点も入れ込んで,文字化してみました。

 

 


◎ 大学生活の頃の心象風景の一旦を,当時「文字化」していたものから思い起こしてみました。

 

 

◎ 10年以上経ちましたが,私の校長としての初任校になる沼南高校の当時の状況・雰囲気,学校経営手法などとともに苗木を植えた桜の木のその後の成長ぶりについて文字化してみました。

 

 


◎ 50代になった頃に経験したクモ膜下出血による緊急入院から繋がる「ものごとの見方・捉え方」について思い起こしながら文字化してみました。

 

 

◎ 開校準備の段階から関わらせていただいた本県の「リーディングスクール」づくりの中で,いわばエピソード的な個人的な話題について,まとめてみました。

 

 

 


◎『【1】原風景』に続いて,自分の原風景とその背景的なことについて,時代状況などど重ね合わせてみて,文字化してみました。

 

 

 

◎教員になり始めの頃に経験した生徒のバイク事故死と,当時の自分のできごととを比べての「運命の分かれ目」の捉え方について,文字化してみました。

 

 

 


◎大学生の頃に体感した出来事について,中原中也の詩の表現も考え合わせながら,今の見方・捉え方・感じ方などを文字化してみました。

 

 

 

◎『【1】原風景』『【7】原風景・続』に続いて,自分の原風景を生み出してくれることになった我が家を構築した祖父について,文字化してみました。